寺伝によれば文治年間(1185〜1190年)に賢覚大徳が創建し、元和年間(1615〜1624年)に学誉上人が再興したと伝わる。慶安2年(1649年)、江戸幕府より薬師堂領4石9斗の御朱印状を受け、寺格を確立した。もとは北方村小名天沼にあり、地内の北方皇大神宮や諏訪町の諏訪神社の別当を勤めた。明治33年(1900年)に現在の大平町へ移転し、旧地は現在の中区北方小学校となった(山号「天沼山」の由来)。新四国東国八十八ヶ所霊場・横浜三十三観音霊場第27番・横浜弘法大師二十一ヶ所霊場第12番の札所として、弘法大師信仰の巡礼者を迎え続けている。