明治13年(1880年)、山口藩士出身で赤間宮(現・赤間神宮)の禰宜であった末田真穂が、第80代出雲国造にして出雲大社大宮司の千家尊福の全国巡教に随行したことが創建の端緒となった。千家尊福は「神道は神社神道・教派神道の別なく一体である」との信念のもと全国を回り、末田はその人格と出雲信仰に深く心服した。折しも明治政府は明治15年(1882年)の神官教導職分離令によって神職が宗教教導を担うことを禁じ、千家尊福はこれを機に大宮司を辞して出雲大社教を独立教団として創設した。末田真穂はその年に出雲大社の御分霊を奉戴して山口に戻り、大国主大神を祀る分院を創建した。当初は山口市吉敷の地に教会所を設けて活動を…