山口県山口市糸米に鎮座し、**木戸孝允**(1833〜1877年、通称:桂小五郎)を祭神とする神社。木戸は薩長同盟の締結・版籍奉還・廃藩置県を主導した明治維新の最高立役者の一人で、西郷隆盛・大久保利通と並ぶ「**維新三傑**」の一角に数えられ、「**智の木戸**」と称された。明治10年(1877年)に45歳で没した翌年、木戸が死の床で「故郷・糸米の子弟の学資に充てよ」と遺言して私有田畑・山林を地域に寄贈したことに感激した村人たちが旧居地に社を建てたのが始まり。明治19年(1886年)に正式に「木戸神社」として創建が確認された。境内には約100本の桜が植えられ、隣接する木戸公園のもみじとともに四季折々の景観を楽しめる。4月第1日曜日の春季例大祭(勧学祭)では奉納剣道大会が催され、木戸の剣客としての側面と教育への遺志を合わせて顕彰する。山口市が指定する「明治維新策源地」の一社。
木戸孝允は天保4年(1833年)、長州藩医・和田昌景の長男として萩城下に生まれた。幼名を和田小五郎といい、8歳で藩士・桂九郎兵衛の養子となり桂小五郎を名乗った。藩校・明倫館で学び、江戸では剣客・斎藤弥九郎の練兵館で剣術を修めて塾頭まで上り詰め、桂の武名を高めた。安政の大獄(1858年)後は尊王攘夷運動に身を投じ、蛤御門の変(1864年)で大敗した後は幕府の追手を逃れながら各地を転々とした。慶応2年(1866年)、坂本龍馬の仲介で薩長両藩の代表として薩長同盟を締結し、これが倒幕の大局を決する契機となった。
明治維新後は明治政府の参与・参議として新体制の礎を築いた。明治2年(1869年)の**版籍…