永正17年(1520年)、周防・長門を中心に西国に覇を唱えた大内義興が、朝廷の勅許を得て伊勢神宮の両御祭神の分霊を勧請し、創建した。京都以西の諸国において最初の伊勢神宮分社とされ、皇大神宮(内宮)に天照大御神、豊受大神宮(外宮)に豊受大神を祀る両宮形式をとる点が特徴である。創建当時の大内氏は文化・経済の両面で最盛期を迎えており、本社は同氏の朝廷との深い関係と豊かな財力を背景に造営されたとされる。天文20年(1551年)に大内義隆が陶晴賢に滅ぼされ大内氏が事実上断絶した後も、社殿は地域の崇敬を集めながら維持された。近世には毛利氏の保護のもとで社格が保たれ、「西のお伊勢さま」として広く親しまれるよ…