災厄消除・方位除け・疫病退散。不動明王・観音・祇園の神を祀る寺社で特に祈願される。
御祭神「釈迦如来・多宝如来・四菩薩・文殊菩薩・普賢菩薩・持国天・毘沙門天・日蓮聖人(一塔両尊四士)/脇壇に鬼子母大尊神(江戸城大奥伝来)」のご神徳に由来
横浜市南区南太田の高台に建つ日蓮宗の寺院で、山号は西中山。通称「太田(南太田)の鬼子母神」として古くから親しまれ、子授け・子育て・子孫繁栄の祈願に多くの参拝者を集める。明治初期に「横浜西太田説教所」として開かれ、明治12年(1879年)に寺号を公称した近世以降の創建ながら、本尊脇壇に祀られる鬼子母大尊神は八代将軍徳川吉宗の頃から江戸城大奥で「子孫繁栄の守護神」として祭祀された由緒ある霊像で、大政奉還とともに大本山中山法華経寺へ納められ、明治8年(1875年)に徳川家永代供養の過去帳と共に当寺へ拝受されたものと伝わる。明治末年の山崩れと大正12年(1923年)の関東大震災で本堂を二度失いながら、信徒の力で大正13年(1924年)に再建された現本堂は唐破風が三連に並ぶ非常に珍しい木造建築で「横浜第一」とも称される。昭和20年(1945年)5月の横浜大空襲では周辺一帯が焼け野原となるなか、本堂は…
常照寺の創始は明治6年(1873年)、千葉・市川の大本山正中山法華経寺第112世河田日因(本良院日因)貫首が横浜に布教の拠点を設けようと「横浜西太田説教所」を建立したことに始まる。明治8年(1875年)、河田貫首はその担当に喜多村日修(慈教院日修)上人を任じ、当時32歳の日修上人は西太田の地で布教伝道に勇猛精進を尽くした。その布教の成果が結実して明治12年(1879年)、ついに寺号公称を許され「西中山 常照寺」として正式に寺院認可を受け、日修上人は初代住職に就任した。本尊は釈迦如来・多宝如来の二仏に四菩薩・文殊・普賢・持国天・毘沙門天・日蓮聖人を加えた一塔両尊四士の構成で、脇壇には「鬼子母大尊…