平安時代、大内裏が廃虚となった後の荒野「内野」の産土神として「内野八幡宮」の名で創建された。全国の八幡宮の多くが石清水八幡宮から勧請されるのに対し、当社は豊前国・宇佐八幡宮(現・大分県宇佐市)から直接勧請されたという独自の由緒を持つ。大内裏の北東(鬼門)に位置することから王城鎮護の神として朝廷・武家双方の崇敬を集めた。社名が「首途八幡宮」に改まったのは源義経の伝説による。承安4年(1174年)3月3日、鞍馬山で修行を積んだ若き義経(牛若丸)は、陸奥国産出の金を京で売りさばく商人・金売吉次の助けを借りて奥州平泉(藤原秀衡のもと)へ旅立った。その際、吉次の屋敷近くにあったこの社に立ち寄り、旅路の安…