崇徳天皇(1119〜1164年)は第75代天皇として即位したが、保元の乱(1156年)で後白河天皇方に敗れ、讃岐国(現在の香川県)へ配流された。配流後は写経に専念するも、その写経を朝廷に受け取りを拒否され、失意と怨念のうちに1164年(長寛2年)に崩御したと伝わる。崩御後、遺体は白峯の地に葬られ、現在の「白峯陵(しらみねのみささぎ)」が造営された。崇徳天皇は死後、日本三大怨霊の一人として畏れられ、相次ぐ天変地異や戦乱はその祟りによるものとされた。平安末期には歌人・西行が白峯陵を訪れ、崇徳院の霊を慰める歌を詠んだと伝わる。江戸時代末期の1868年(慶応4年)、明治天皇は崇徳天皇の霊を慰めるため勅…