京都府長岡京市天神1丁目に所在する、室町〜戦国時代の**平城(居館)跡**。長岡京市指定史跡。
築城主は**中小路氏(なかこうじし)**——菅原道真の末裔として長岡天満宮(旧・開田天満宮)の神職を代々務めてきた乙訓地域の有力国衆。城は1辺約70mの方形単郭で、幅6.5m・高さ2mの**土塁**と幅8m・深さ1mの**堀**に囲まれた典型的な中世城館の形式をとる。
文明2年(1470年)、**応仁の乱**の最中に近隣の勝龍寺城とともに攻撃されたとの史料が残り、当時の西岡衆(乙訓地域の国衆連合)の拠点の一つとして機能していたことが確認できる。
現在は城域の大半にマンションが建つが、**西側土塁**と**南東角土塁**の2か所が**開田城土塁公園**として整備・保存されており、高さ約2mの土塁が当時の規模を今に伝える。マンション1階エントランスには城の復元模型が展示されており、無料で見学で…
開田城の築城年代は明らかでないが、室町時代後期から戦国時代初頭(15世紀後半)にかけて、**乙訓地域の有力国衆・中小路氏**によって構えられたと考えられる。中小路氏は菅原道真の後裔と称し、長岡天満宮(旧名:開田天満宮)の神職として代々仕えながら、乙訓地域で一定の土地支配を維持してきた武家系の神職一族である。現在も中小路家は長岡天満宮の宮司を務めており、800年以上にわたる連綿たる家系の継続は特筆に値する。
城の規模は1辺約70mの方形単郭で、幅6.5m・高さ2mの土塁と幅8m・深さ1mの堀が周囲を巡る、典型的な中世城館(在地領主の居館)の様式をとる。西岡地域(乙訓地域)は「西岡衆」と呼ばれる…