勝龍寺城は暦応2年(1339年)、室町幕府方の武将・細川頼春によって築かれた平城を起源とする。南北朝期には南朝方との争いの舞台となり、戦略上重要な拠点として機能したとされる。戦国時代に入ると、永禄年間(1558〜1570年)に細川藤孝(幽斎)が城を大規模に改修し、石垣・土塁・堀を整備して近世城郭としての体裁を整えた。天正6年(1578年)には明智光秀の娘・玉(後の細川ガラシャ)が細川忠興と婚礼を挙げた舞台として知られ、城は華やかな歴史の一幕を飾った。天正10年(1582年)、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れた後、一時この城に立て籠もったが、脱出を図る途中に落命…