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JR・東京メトロ綾瀬駅西口から徒歩2分
東京都足立区綾瀬4-9-6
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病気平癒・身体健全・心身の癒し。薬師如来や観音菩薩を本尊とする寺院が霊験あらたか。
御祭神「十一面観世音菩薩」のご神徳に由来
東京都足立区綾瀬に所在する真言宗豊山派の寺院。山号は稲荷山、院号は蓮華院、本尊は十一面観世音菩薩。江戸時代初期、五兵衛新田(現在の綾瀬北部一帯)の開拓者・金子五兵衛を開基として創建された。以後、金子家をはじめとする五兵衛新田の村人たちの菩提寺として機能してきた。新選組との深いゆかりで全国的に知られる寺院で、慶応4年(1868年)3月13日から4月1日の約20日間、近藤勇・土方歳三率いる新選組の一隊がここ五兵衛新田に屯所を構え、観音寺は彼らの拠点の一つとなった。鳥羽・伏見の戦いで敗走し甲州勝沼でも敗れた新選組は、名主・金子健十郎宅と観音寺等に分散して軍勢を再編成、3月15日には100名、4月1日には227名まで膨れ上がった。やがて一隊は流山へ移動し、近藤勇は流山で投降・板橋で斬首、土方は宇都宮・会津・函館へと北上する。観音寺はその「最後の雌伏の地」として新選組ファンの巡礼地となっている。綾瀬…
江戸時代初期、五兵衛新田(現・綾瀬北部)の開拓者・金子五兵衛が開基となり創建された。以後、金子家と五兵衛新田村民の菩提寺として続く。慶応4年(1868年)3月13日から4月1日まで、鳥羽・伏見の戦い・甲州勝沼の戦いに敗れた新選組の一隊が近藤勇・土方歳三らに率いられ五兵衛新田へ入り、名主・金子健十郎宅と当寺等に屯所を設置して軍勢を再編成。3月15日には100名、4月1日には227名まで膨れ上がった後、流山へ転進した。近藤は流山で投降、土方は宇都宮・会津を経て函館へ北上する前夜の地である。
慶応4年(1868年)3月、鳥羽・伏見の戦い(1月)、甲州勝沼の戦い(3月6日)に連敗し、江戸に戻った近藤勇は、新選組を「甲陽鎮撫隊」として再編成して下総流山への転進を企図した。江戸を出発した一行は3月13日に五兵衛新田の金子健十郎宅・観音寺等に到着、ここを屯所として兵を集めた。当初48人だった隊士は3月15日に100人、4月1日に227人まで増えた。しかし4月1日夜、官軍の追撃を受けて流山へ移動、4月3日流山で出頭・投降、板橋で斬首された。観音寺は近藤最後期の20日間の雌伏の地であり、新選組の歴史の最終幕が始まった寺院である。
土方歳三は近藤勇とともに五兵衛新田に入り、観音寺や金子健十郎宅を拠点として部隊の再建にあたった。近藤が流山で投降・斬首された後、土方は生き残った隊士を率いて宇都宮・会津へと北上、ついに箱館(函館)・五稜郭に至り、明治2年(1869年)5月11日、一本木関門で戦死した。観音寺における20日間の雌伏こそ、新選組が武士道を体現した最後の再起の場であり、後の北伐の出発点となった。
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