聖地マップ
みんなの投稿
記録
辿る
マイページ
‹
東京都
Toku
[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
慶應義塾発祥の地
東京都
安政5年(1858年)福澤諭吉が中津藩江戸中屋敷(築地鉄砲洲・現中央区明石町)に開いた蘭学塾——慶應義塾発祥の地。聖路加国際病院の正面に記念碑が立ち、近代日本私学の原点を伝える
創建
1858 年
種別
史跡
アクセス
東京メトロ日比谷線築地駅から徒歩8分 / 有楽町線新富町駅から徒歩9分
東京都中央区明石町11-1
Google Map で開く ↗
基本情報
史跡
創建 1858年
168年目
概要
中央区明石町(江戸期の築地鉄砲洲)に立つ慶應義塾発祥の地記念碑。安政5年(1858年)10月、中津藩士・福澤諭吉(1835〜1901)が中津藩江戸中屋敷の一隅に蘭学塾を開いたのが「慶應義塾」の起源で、明治4年(1871年)に三田の旧島原藩中屋敷跡(現・慶應義塾大学三田キャンパス)に移転するまでの13年間、この地で塾生を育てた。記念碑は聖路加国際病院本館前の歩道脇に立ち、近代日本教育の原点を今に伝えている。福澤は『学問のすゝめ』『西洋事情』『文明論之概略』などの著作で明治の啓蒙思想を牽引し、1万円札の肖像にもなった近代日本教育の父。築地鉄砲洲時代の蘭学塾は、後に慶應義塾大学へと発展する日本私学の出発点となった重要な場所である。
由緒
1858年10月、福澤諭吉が中津藩江戸中屋敷(築地鉄砲洲・現中央区明石町)に開いた蘭学塾が慶應義塾の起源。1871年4月、三田の旧島原藩中屋敷跡(現・慶應義塾大学三田キャンパス)に移転。明石町時代の塾跡は聖路加国際病院隣の発祥之地碑で偲ぶことができる。
記
関連記事
— 1
学
学問のすすめ——「天は人の上に人を造らず」と福沢諭吉の近代思想
福沢諭吉が1872年から刊行した「学問のすすめ」の冒頭「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は、封建的身分制度を否定した近代日本最初の啓蒙宣言とも言える。累計340万部のベストセラーとなり、慶應義塾創設と並び、近代日本の独立精神の象徴となった学者の思想を解説する。
era
›
みんなの投稿
0
+
まだ投稿がありません
あわせて巡りたい
土
土佐藩中屋敷跡(築地邸)
文政9年(1826年)土佐藩山内家が拝領した築地の江戸屋敷—山内容堂の居所であり坂本龍馬・武市半平太・岡田以蔵ら「土佐の英傑」が集った幕末土佐藩の江戸拠点跡
434m
→
士
士学館(桃井道場)跡
安永2年(1773年)創設・「位の桃井」と称された幕末江戸三大道場—武市半平太・岡田以蔵ら土佐勤王党が剣術を磨いた鏡新明智流の名門道場跡
517m
→
増上寺
明徳4年(1393年)創建で家康が江戸城裏鬼門の菩提寺と定めた浄土宗大本山、六将軍の霊廟が置かれ元和8年建立の三解脱門が東日本最大級の木造楼門として現存する増上寺
2.8km
→
石
石川島灯台(佃公園)
慶応2年建設の洋式灯台復元・長谷川平蔵が寛政2年に日本初の更生施設を設けた石川島、勝海舟が軍艦操練所を開いた幕末海軍近代化の地
553m
→
築
築地本願寺
元和3年(1617年)浅草に創建→明暦大火(1657年)焼失→万治2年(1659年)海上埋立地「築地」に再建—関東大震災後の昭和9年(1934年)伊東忠太設計のインド・西アジア様式本堂が聳える浄土真宗本願寺派東京別院
471m
→
銀
銀座発祥の地碑
慶長17年(1612年)徳川幕府が駿府から移した銀貨鋳造所「銀座役所」—400年後に世界的ブランド街「GINZA」となる地名の起源を伝える銀座2丁目の石碑
805m
→
歌
歌舞伎座
明治22年(1889年)に木挽町で創設—大空襲での焼失・4度の建て替えを経て現在の第五期(2013年、隈研吾設計)が銀座の象徴として唐破風の大屋根を現代のタワーと融合させる日本最高の歌舞伎劇場
697m
→
江
江戸歌舞伎発祥之地碑
寛永元年(1624年)初代中村勘三郎が中橋南地に猿若中村座を旗揚げ—江戸歌舞伎400年の歴史の出発点を今に伝える京橋の石碑
879m
→
記
情報を提案する
位置のずれ / 由緒 / 参拝時間 / アクセス / 設備 / 注意事項 などを提案できます
›
事実と違う内容を報告
›
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
+
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
✕