文政9年(1826年)に土佐藩山内家が江戸幕府より拝領した築地の中屋敷・下屋敷の跡地で、幕末まで土佐藩江戸拠点の一つとして機能した武家屋敷の要衝。15代藩主・山内容堂(豊信)がこの築地邸を居所とし藩主時代の江戸在勤期間を過ごしたことで知られ、公武合体派の主導者として活躍した容堂公の政治活動の拠点となった。土佐勤王党の武市半平太は近隣の士学館(桃井道場)に通って剣術を磨き、土佐藩士・坂本龍馬も江戸遊学の折には当築地邸に寄宿しつつ桶町の千葉定吉道場に通ったと伝わる。幕末維新期の土佐藩人材を育てた江戸拠点として、容堂・半平太・龍馬・以蔵ら「土佐の英傑」が集い散った場所で、現在は中央区役所近辺に説明板が立ち、中央区観光協会公式の史跡として紹介されている。