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銀座発祥の地碑
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銀座発祥の地碑
東京都
創建
1612
種別
史跡
アクセス
東京メトロ銀座駅から徒歩3分、JR京橋駅から徒歩8分、JR有楽町駅から徒歩5分
東京都中央区銀座2-7-18(ティファニー銀座本店前)
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基本情報
史跡
創建 1612
414年目
概要
東京都中央区銀座2-7-18、ティファニー銀座本店前の歩道上に立つ石碑。慶長17年(1612年)、徳川幕府は駿府(現・静岡市)で営まれていた銀貨鋳造所「銀座役所」を江戸のこの地(当時は海に近い新開地)に移転させ、幕府直轄の銀貨幣鋳造と銀地金売買の拠点とした。銀座役所の敷地は東西108間・南北36間の広大な区画を占め、以後江戸の銀貨製造の中心として機能した。町名は当初「新両替町」とされたが、通称で「銀座町」と呼ばれ定着した。明和2年(1765年)の銀貨鋳造方式改定後、銀座役所は日本橋蛎殻町へ移転したが、「銀座」の通称はこの地に残り続け、明治2年(1869年)に正式町名「銀座」として公示、現代まで連綿と続く世界的ブランド街「GINZA」の名の由来となった。昭和30年(1955年)4月1日、中央区・銀座通連合会の手で「銀座発祥の地」碑が建立。400年以上にわたり日本の通貨・商業・文化の象徴であり…
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由緒
慶長17年(1612年)、徳川幕府が駿府にあった銀貨鋳造所「銀座役所」を江戸のこの地に移転し、幕府直轄の銀貨幣鋳造所・銀地金売買所を設置。当時の町名は「新両替町」だが通称「銀座町」として定着。明和2年(1765年)銀座役所は日本橋蛎殻町に移転したが「銀座」の通称は当地に残り、明治2年(1869年)公式町名となった。昭和30年(1955年)4月1日、中央区と銀座通連合会により「銀座発祥の地」碑建立。
徳川家康とのつながり
徳川家康は関ヶ原の戦い(1600年)後、江戸を幕府直轄の首都として整備するにあたり、貨幣制度の統一を急務とした。慶長6年(1601年)には金座(現・日本橋本石町、後の日本銀行本店敷地)を設け、慶長17年(1612年)には駿府で運営されていた銀貨鋳造所「銀座」を江戸新両替町(現・中央区銀座二丁目)に移転、幕府直轄の銀貨幣鋳造拠点とした。江戸における金座・銀座・銭座の三座体制は徳川幕府の通貨制度の中核となり、徳川260年の経済基盤を支えた。現代「GINZA」が世界的な商業・文化のブランドとなる礎を築いたのは、家康の通貨政策であった。

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