紀尾井坂は、江戸時代に紀伊徳川家・尾張徳川家・彦根井伊家の三藩邸が周辺に置かれたことに由来する坂道で、江戸城外堀沿いの重要な通路として機能した。明治維新後、旧大名屋敷の多くは解体・転用されたが、坂そのものは東京の地形として残り続けた。明治11年(1878年)5月14日、維新三傑の一人として知られ、内務卿として明治政府の実権を握っていた大久保利通が、この坂において石川県士族・島田一郎ら6名に暗殺された。大久保は赤坂仮皇居へ向かう馬車中を襲撃され、47歳で絶命した。暗殺者らは明治10年(1877年)の西南戦争における西郷隆盛の死への復讐および専制的な藩閥政治への抗議を動機として挙げたとされる。事件…