享保3年(1718年)、伊予宇和島藩伊達家から幕府へ上知された駒場一帯の土地を徳川幕府が御用屋敷として整備した跡で、広さ約180,000㎡(十五万坪)に及ぶ江戸近郊最大級の鷹狩御用地。古代中世以来軍馬の産地であった「駒場」の地名にふさわしく、寛永3年(1626年)上目黒村加藤家から伊達家への寄進を経て幕府直轄地となり、将軍が近隣の駒場野で鷹狩を行う際の休憩所・鳥見役所として機能した。**8代将軍徳川吉宗**が享保期に江戸近郊6御鷹場を整備した中で、駒場御鷹場は特に重視され最も頻繁に利用されたと伝わる。屋敷内には将軍家御用の「御薬園」が設けられ薬草栽培地としても機能、江戸幕府の農政・医療政策の一翼を担った。文化遺産オンラインに登録される「将軍家駒場鷹狩図」は往時の鷹狩の様子を今に伝える貴重な絵画史料で、吉宗時代の江戸近郊景観を偲ばせる。現在は駒場野公園・駒場公園一帯に相当し、東大駒場キャンパ…