京都市下京区綾小路通大宮西入に位置する浄土宗の寺院。山号を満月山、院号を普照院という。知恩院の末寺。本尊は阿弥陀如来(左に観音菩薩・右に勢至菩薩を従える)。慶長18年(1613年)頃の創建で、天明の大火(1788年)で焼失した後、文政2年(1819年)に本堂が、弘化3年(1846年)に山門が再建された。壬生に屯所を置いた新選組ゆかりの寺として広く知られる。22代住職の良誉上人が新選組総長・山南敬助と同じ家紋(丸に右離れ三つ葉立葵)を持ち、また寺門近くに新選組の馬小屋があったことから深い縁が生まれ、山南をはじめ多くの隊士がここに葬られた。明治31年(1898年)には良誉上人が境内に「新選組之墓」の碑を建立し、新選組の霊を弔っている。
慶長18年(1613年)頃、壬生の地に浄土宗の寺院として創建された。天明8年(1788年)の天明の大火で堂宇は焼失したが、文政2年(1819年)に本堂、弘化3年(1846年)に山門が再建された。幕末期、文久3年(1863年)に壬生浪士組(後の新選組)が壬生に屯所を設置すると、寺の近くに馬小屋が置かれたことをきっかけに、22代住職・良誉上人と隊士たちに交流が生まれた。良誉上人と新選組総長・山南敬助は同じ家紋を持つことが判明し、両者の絆は深まった。元治2年(1865年)2月23日、山南敬助が脱走の罪で前川邸において切腹。遺骸は光縁寺に葬られた。以後、四番隊組長・松原忠司(慶応元年・1865年没)、…