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蔵田寺
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蔵田寺
神奈川県
元亀元年(1570年)創建の浄土宗寺院。旧鎌倉郡三十三箇所観音霊場第21番。北条家臣が寄進した伝行基作千手観音と歌僧・大雲ゆかりの文人の寺
創建
1570
種別
寺院
アクセス
JR東海道線・横須賀線/横浜市営地下鉄ブルーライン 戸塚駅から徒歩約16分(約1.2km)
神奈川県横浜市戸塚区上倉田町318
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基本情報
寺院
創建 1570
456年目
御祭神・御本尊
開基・創建者
法誉祖道上人(慶長2年〔1597年〕4月18日寂)
宗派
浄土宗
概要
神奈川県横浜市戸塚区上倉田町に佇む浄土宗の寺院で、山号を澤泉山・院号を西向院と称し、正式には澤泉山西向院蔵田寺という。本尊は阿弥陀如来で、元亀元年(1570年)に法誉祖道上人が草庵を結んで開山した。 境内には旧鎌倉郡三十三箇所観音霊場の第21番札所として「誘引堂(ゆういんどう)」と呼ばれる観音堂があり、千手観音像を安置する。この千手観音は奈良時代の僧・行基の作と伝わり、小田原北条氏の家臣・堀内誘引之助が守護仏として当寺に寄進したという由緒を持つ。堂の通称「誘引堂」は寄進者の名に因むもので、戦国武将の信仰の篤さを今に伝える。弁天堂は「一心堂」と称する別堂として独立し、境内の一角に静かに佇む。 江戸時代後期、歌僧として知られる大雲が住職を務めた時期には、文人・歌人が蔵田寺に多く出入りし、上倉田の地が文学的な交流の場となった。江戸後期の国学者・橘千陰(たちばなちかげ, 1734〜1808)の…
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由緒
上倉田は中世より武蔵国鎌倉郡に属した農村地帯で、鎌倉街道の脇道が通じる交通の要衝であった。蔵田寺の創建は戦国末期の元亀元年(1570年)。浄土宗の僧・法誉祖道上人が草庵を結んだのが始まりで、当初は現在地とは異なる場所にあったと伝わる。 二世住職の代に現在地(上倉田町318番地)へ移転し、戸塚宿の豪商・伊勢屋中出与右衛門与休が施主となって本堂を建立した。この支援により、小さな草庵は堅牢な伽藍を持つ寺院へと発展した。 観音堂「誘引堂」は、小田原北条氏の家臣・堀内誘引之助が守護仏として寄進した千手観音像を安置する。伝行基作とされるこの像は、戦国末期の武将信仰の生きた証として今も堂内に祀られる。正…
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ご利益
浄化・お祓い
極楽往生
穢れ祓い・心身の浄化・邪気払い。禊(みそぎ)や護摩の伝統に連なる。
御祭神「阿弥陀如来(本尊)・千手観音(誘引堂)」のご神徳に由来
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