spot/[id]

[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
九州平定
鹿児島県
創建
1587
種別
史跡
アクセス
鹿児島県鹿児島市城山町
Google Map で開く ↗
基本情報
史跡
創建 1587
439年目
概要
1587年(天正15年)、豊臣秀吉が20万とも言われる大軍を率いて九州に遠征し、島津義久を降伏させて九州を平定した軍事作戦。島津氏は大友・龍造寺を制して九州をほぼ統一していたが、秀吉の圧倒的な大軍の前に屈し、義久は薩摩・大隅・日向3か国のみを安堵されて臣従した。秀吉はこの遠征の帰途、伴天連追放令を発布してキリスト教の布教を制限した。九州平定により秀吉の全国支配はほぼ完成に近づき、残る関東・奥州の平定(小田原征伐・奥州仕置き)へと進んでいった。鹿児島には関連史跡が点在する。
由緒
1587年(天正15年)、豊臣秀吉は20万ともされる大軍を率いて九州遠征を敢行した。当時、島津義久率いる島津氏は大友氏・龍造寺氏を相次いで制し、九州のほぼ全域を掌握していた。しかし秀吉の圧倒的な軍勢の前に抵抗は困難となり、義久は薩摩国・大隅国・日向国の3か国のみを安堵されるかたちで降伏・臣従した。秀吉はこの九州平定の帰途、1587年6月に伴天連追放令を発布し、キリスト教宣教師の国外追放と布教活動の制限を命じた。この平定により豊臣政権の全国支配はほぼ完成に近づき、秀吉はその後、関東の北条氏攻略(1590年・小田原征伐)および奥州仕置きへと勢力を拡大していった。鹿児島市内には義久降伏の地に関連する…
もっと読む
島津義弘とのつながり
九州平定直前、島津義弘は兄・義久とともに九州ほぼ全域を制圧し、豊後の大友氏を追い詰めていた。しかし1587年、豊臣秀吉の20万大軍の前に義久が降伏し、義弘も臣従を余儀なくされた。この九州平定を機に義弘は秀吉の家臣として朝鮮出兵へと動員され、文禄・慶長の役での活躍へとつながっていく。

ゆかりの人物
1

みんなの投稿
0
まだ投稿がありません
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U