島根県松江市奥谷町に位置する臨済宗妙心寺派の禅寺。山号は**正覚山**、本尊は**釈迦如来**。慶長5年(1600年)、堀尾吉晴が松江に城と城下町を築いた際、春龍和尚が開山して「長寿院」として創建したのが始まり。寛永年間(1642〜1645年)、第4代住職・龍款和尚が藩主より奥谷の寺地を拝領して現在地に移転・改名し「正覚山長寿寺」となり、のちに「万寿寺」の寺号を得た。松江城の北側に広がる「城北寺町」の中核寺院として、江戸期を通じて武家・庶民の禅の道場として機能してきた。薬医門(山門)には「萬壽禅寺」の扁額、本堂は正面7間・桟唐戸を備える禅宗様式で、勅使門・袴腰鐘楼・禅堂・観音堂・枯山水庭園が境内に整然と配置される。現在も修行寺として毎月2回の坐禅会を開催し、地域に開かれた禅の場として親しまれている。
万寿寺の始まりは慶長5年(1600年)に遡る。関ヶ原の戦いの年、堀尾吉晴が出雲・隠岐2国の領主として松江に入り城下町を建設した際、春龍和尚が堀尾氏の帰依を受けて「長寿院」を開山したことが創建の縁起とされる。松江藩は1638年に堀尾氏が断絶すると京極氏が継ぎ、1634年(寛永11年)からは松平直政が入封して以後9代にわたり松平氏が治めた。寛永年間(1642〜1645年)、第4代住職・龍款和尚の代に松江藩から奥谷の寺地を拝領し、現在地へ移転して「正覚山長寿寺」と改称した。その後、第13代住職・大安の代に火災で伽藍が焼失し、再建に際して「万寿寺」に改称したと伝わる。江戸時代を通じて松江城北の「城北寺…