島根県松江市石橋町に鎮座する高野山真言宗の寺院。山号は尊照山、本尊は千手観世音菩薩(十臂の珍しい形態)。出雲国十三仏霊場第六番。慶長12年(1607年)、初代松江城主・堀尾吉晴が月山富田城(安来市広瀬町富田)から松江城の築城を開始した際、本丸の**鬼門(北東方向)を封じる守護寺**として、かつて広瀬の地にあった当寺を現在地に移築した。松江城天守から北東へ約500mに位置し、城の霊的防衛ラインを担う存在として江戸時代を通じて歴代藩主の篤い崇敬を受けた。
延宝6年(1678年)に城下の大火で伽藍が類焼し、古記録・寺宝のほぼすべてを失ったが、文化13年(1816年)に本堂と不動堂が再建された。本堂には**平安末期の千手観音菩薩像**(松江市近在に数少ない平安仏)を安置し、不動堂には十世紀作と推定される雄渾な**平安時代の不動明王坐像**を伝える。境内には7代藩主・**松平不昧公(治郷)**の直筆…
千手院はもとと安来市広瀬町富田(旧・月山富田城城下)の地にあったとされる古寺で、開基は長海律師と伝わる。創建の詳細は定かでないが、松江城築城という政治的転機がこの寺の歴史を大きく動かした。
慶長12年(1607年)、尾張出身の武将・堀尾吉晴は、出雲・隠岐二国(後に伯耆も加わる)を治める拠点を山城の月山富田城から平地の亀田山に移すべく、松江城の築城を開始した(竣工は慶長16年・1611年)。城郭の縄張りにあたって、吉晴は風水・陰陽道の観念に従い本丸の鬼門(北東方向)を封じる必要を認め、広瀬に在った当寺——高野山真言宗の祈祷寺——を長海律師に命じて現在の石橋の地に移築した。「城中の土をこの地に移し…