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満福寺
神奈川県
創建
744
種別
寺院
アクセス
神奈川県鎌倉市腰越2-4-8
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基本情報
寺院
創建 744
1282年目
開基・創建者
行基(伝)

お祭り・行事
1

3月
20
万福寺(鎌倉) 春の開帳
山ノ内に位置する鎌倉の万福寺で春に行われる特別開帳。普段は非公開の仏像や寺宝が春の期間に特別公開される。静かな北鎌倉の春の気配の中で、秘仏と向き合う貴重な機会となる。
概要
満福寺は鎌倉市腰越に位置する真言宗大覚寺派の寺院で、山号を龍護山と号します。江ノ島電鉄腰越駅からほど近く、古くから東海道の脇往還として栄えた腰越の町並みの中にひっそりと佇む古刹です。この寺が広く知られるのは、源義経が兄・頼朝への弁明のために有名な「腰越状」を書いた場所として伝わるためです。元暦二年(1185年)、壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした義経は、数々の武功を挙げて凱旋しましたが、兄頼朝の怒りを買い、鎌倉に入ることを許されませんでした。義経はこの満福寺に留め置かれ、頼朝の側近である大江広元に宛てて、自らの忠義と無実を訴える切々たる書状をしたためました。これがいわゆる「腰越状」であり、日本史上最も有名な書状の一つとして知られています。境内には義経が腰越状を書いたとされる部屋が再現されており、腰越状の下書きと伝えられる書や、義経にまつわる資料が展示されています。本堂には義経と弁慶の物語を描いた…
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由緒
天平十六年(744年)、行基が関東巡錫の折に開山したと伝えられる古寺です。しかし満福寺が歴史の表舞台に登場するのは、元暦二年(1185年)のことでした。源義経は壇ノ浦の合戦で平家を滅亡させた功労者でしたが、後白河法皇から独断で官位を受けたことなどが兄頼朝の不興を買い、鎌倉への入城を拒まれました。義経はこの寺に逗留し、大江広元宛てに頼朝への取り次ぎを懇願する書状、いわゆる「腰越状」を書きましたが、ついに許されることはありませんでした。以後、義経は都落ちし、奥州平泉で最期を迎えることになります。寺はその後も法灯を守り続け、江戸時代には腰越の信仰の中心として栄えました。
源頼朝とのつながり
元暦2年(1185年)、壇ノ浦で平氏を滅ぼした弟・義経が凱旋すると、頼朝は義経の独断専行を咎めて鎌倉への入城を拒んだ。義経は満福寺に留め置かれ、大江広元宛てに忠義を訴える「腰越状」をしたためたが、頼朝の心は動かなかった。兄弟の和解を拒んだこの決断が、義経の悲劇的な最期への引き金となった。

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