鎌倉時代の元亨年間(1321-1324年)以前、この一帯がまだ入り海であった頃、松の木が鬱蒼と茂る小島に柴田家の邸内社として祀られていたのが起源。天正13年(1585年)に「松島稲荷大明神」として一般に公開参拝が許された。島内の松樹が鬱蒼としていたことから松島の名がつき、やがて周辺も松島町と呼ばれるようになった。祭神は稲荷大神をはじめ伊邪那岐神ほか計14柱にのぼるが、これは江戸時代に各地から集まった住民がそれぞれの故郷の神を合祀した結果である。日本橋七福神の大国神を担い、毎年11月の酉の日には「酉の市」が開かれ「人形町のおとりさま」として親しまれている。現在はビルの1階に社殿が収まるという都心ならではの姿で鎮座する。
創建年代は明らかでなく、口伝によれば鎌倉時代の元享年間(1321)以前とされます。かつてこの一帯が入海であった頃、柴田家の先祖が小島に移り住み、邸内に諸神を勧請したのが始まりとされています。夜ごとに燈火を掲げて舟人の安全を助けたとも伝わります。天正13年(1585)に邸宅が公開されて参拝が自由となり、島内に松が鬱蒼と茂っていたことから「松島稲荷大明神」と呼ばれるようになりました。正徳3年(1713)に周辺の埋立て・整備が進む際、社号にちなんで「松島町」という町名が付けられました。日本各地から職人・移住者が集まった際、それぞれの故郷の神を合祀するよう求められたため、祭神は14柱に及ぶとされていま…