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松代城
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松代城
創建
1560
種別
アクセス
JR長野駅からバス約30分
長野県長野市松代町松代44
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基本情報
創建 1560
466年目
概要
武田信玄が築いた海津城として知られ、川中島の戦いの最重要拠点であった城。1560年に山本勘助が縄張りし、千曲川の流れを巧みに取り込んだ堅固な平城である。第四次川中島の戦い(1561年)では武田軍の前線基地として機能し、上杉謙信との壮絶な死闘の舞台となった。江戸時代には真田信之が入封し、以後真田氏10代の居城として松代藩の政庁を担った。真田氏ゆかりの地として真田宝物館・真田邸・文武学校など見どころが多い。太鼓門・北不明門が復元され、千曲川越しに眺める城と北信五岳の景観は信州を代表する風景である。幕末の佐久間象山もこの松代藩の出身で、開国思想の先駆者として知られる。
由緒
松代城は1560年(永禄3年)、武田信玄の命により山本勘助が縄張りを担当して築いた平城で、当初は海津城と呼ばれた。千曲川の流れを防御に活かした堅固な構造を持ち、北信濃支配の要衝として機能した。翌1561年(永禄4年)の第四次川中島の戦いでは武田軍の前線基地として重要な役割を果たし、上杉謙信率いる軍勢との激戦の舞台となった。武田氏滅亡後は上杉氏・森氏・田丸氏らが城主として入れ替わり立ち替わり支配した。1622年(元和8年)、真田信之が上田藩から転封されて入城し、城名も松代城と改められた。以後、真田氏は10代にわたって松代藩主として藩政を担い、城下町の整備や文武学校の創設などを通じて藩の基盤を築い…
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武田信玄とのつながり
永禄3年(1560年)頃、山本勘助が縄張りして築かれた海津城(現・松代城)は、信玄が川中島合戦の最前線基地として整備した。第四次川中島の戦い(1561年)では、謙信の奇襲に対して海津城から兵を出撃させ、八幡原での決戦に臨んだ。信玄の信濃支配の拠点城であり、北信濃経営の中核を担った。
真田昌幸とのつながり
関ヶ原の戦い後、徳川家康は真田昌幸の長男・真田信之(信幸)を松代藩10万石の藩主に任じた。昌幸の死後、信之は松代に入り以後真田氏10代が松代藩を治めた。松代の真田宝物館には信之・昌幸ゆかりの甲冑・書状が多数収蔵され、真田一族の歴史を伝える。
上杉謙信とのつながり
第四次川中島の戦いで、謙信は妻女山から夜中に千曲川を渡り夜明けに武田軍の本陣に突撃した。海津城の武田軍が炊煙を上げているのを妻女山から見て奇策を読んだ謙信が先手を取ったとも伝わり、松代城(海津城)の動向が合戦の帰趨を左右した。

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