妻女山(さいじょやま)が歴史に刻まれたのは、永禄4年(1561年)の第四次川中島合戦における上杉謙信の本陣として使われたことによる。謙信はこの山頂から眼下の川中島・千曲川一帯を見渡し、武田信玄の本陣・海津城との間で戦略的な対峙を展開した。武田軍は謙信を山から引き下ろすための「啄木鳥(きつつき)戦法」を実行し、山を巻く別動隊が背後を突こうとしたが、謙信はこれを察知して夜明けに山を下り、信玄の本陣に直接攻め込んだ。この戦略と奇策が交錯した激戦を記念する碑が山頂に立てられ、江戸時代から多くの人々が訪れる史跡となった。明治以降も川中島合戦史跡として整備が進み、現在は戦国時代の一大決戦を体感できる長野を…