江戸期に上目黒・別所坂の崖上に築かれた富士塚の跡地で、文化9年(1812年)に築造された。もともと江戸の富士信仰(富士講)の霊場として築かれた築山で、頂上からは本物の富士山を望む絶景が広がり、江戸庶民にとっては本山登拝の代参地として親しまれた。文政2年(1819年)に近隣の中目黒3丁目付近にもう一基の富士塚「新富士」が築造されたため、先行するこちらが「元富士(もとふじ)」と呼び分けられるようになった。安藤広重『名所江戸百景』の「目黒元不二」はこの元富士を描いた作品で、天保期の目黒台地からの富士遠望の景観を今に伝える稀少な視覚資料となっている。明治以降、宅地化に伴って塚は取り崩され、現在は跡地を示す案内板と石碑が別所坂上に残るのみであるが、目黒駅周辺の富士信仰と江戸庶民信仰史を物語る貴重な史跡である。隣接する別所坂庚申塔・目黒新富士跡と合わせて、江戸富士講の歴史回廊を形成する。東京メトロ日比…