江戸・元禄期の中目黒村田道(現在の目黒区中目黒)の名主・菅沼権之助の墓で、宝暦11年(1761年)創建の浄土宗長泉院境内に現存する。権之助は目黒通りの急峻な行人坂に代わる緩やかな新道を無許可で開削し、幕府に処刑されたと伝わる農民義士で、別説では重い年貢に苦しむ農民のため年貢軽減を直訴して処刑されたとも伝わる。「強盗で刑死した」との異説もあるが、強盗であれば当時の情勢で墓作りは困難なため、**義民として処刑された可能性が高い**というのが学術的見解で、慕う農民たちが新坂に「権之助坂」の名を付けた歴史は今も地名として生きる。目黒駅から中目黒・代官山方面へと続く権之助坂商店街の賑わいの陰に、村人のために命を捨てた江戸義民の姿を偲ぶことができる地域史の重要拠点で、目黒区文化財めぐり「中目黒コース」にも収録される。権之助坂・長泉院・菅沼家墓というトライアングルで江戸庶民の地域行政と義民文化を学べるス…