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三崎城
神奈川県
三浦水軍と後北条氏の水軍が拠った三崎の山城—房総の里見氏に備えた海の要害
種別
アクセス
京急三崎口駅からバス15分
神奈川県三浦市城山町
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基本情報
概要
三浦半島南端の城山町に築かれた平山城。相模三浦氏の水軍拠点で、永正13年(1516年)の三浦氏滅亡後は北条早雲(伊勢盛時)が大規模に改修し、後北条氏の水軍基地として安房の里見氏に備えた。永禄10年(1567年)から北条氏規が城主となり、房総方面の海上作戦を担った。天正18年(1590年)に廃城。現在は三崎中学校・市役所一帯に土塁・堀切跡が残る。なお三浦道寸が自刃した新井城は油壺(三崎町小網代)にある別城で、混同されやすい。
由緒
鎌倉時代後期、佐原氏が相模三浦氏を再興した頃に築城したとされる。戦国時代に三浦義同(道寸)の勢力下に入ったが、北条早雲(伊勢盛時)の侵攻を受けた。永正13年(1516年)、道寸は別城の新井城(現・三崎町小網代)に籠って自刃し相模三浦氏は滅亡。三崎城は盛時に接収されて大規模に改修され、以後は後北条氏の水軍基地として安房国里見氏への防衛拠点となった。永禄10年(1567年)、北条氏康の四男・氏規が城主として入り、三浦郡支配と房総方面への海上作戦を担った。天正18年(1590年)、小田原征伐後に廃城。近年の研究では、相模三浦氏時代の三崎城と新井城は一体の城郭群を成し、後北条氏が海側を独立した水軍城砦…
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