血縁上の関係はない。鎌倉北条氏は桓武平氏の流れを汲む家系で、後北条氏は伊勢平氏出身の伊勢氏が祖である。初代・早雲(伊勢盛時)が「北条」を名乗ったのは、鎌倉幕府執権の権威を借りる政治的意図からであり、両家の血は繋がっていない。
1590年の小田原籠城中、城内の重臣たちが和睦か抗戦かをめぐって長々と議論して決断できなかったことを指す。転じて「いつまでも結論が出ない会議・議論」を揶揄する慣用句として現在も使われる。
「四公六民」という当時としては破格に低い税率を敷き、検地によって公正な徴税を実現したことが最大の理由である。関東の農民からの信頼は厚く、小田原開城後も徳川家康が後北条の行政制度を多く採用したとされる。
8,000の兵で8万余の連合軍を闇夜の奇襲で破り、関東の旧秩序を一夜で覆した点が評価される。厳島の戦い(毛利元就)・桶狭間の戦い(織田信長)と並んで、日本史上最も劇的な逆転勝利の一つとされる。
東京都八王子市にある八王子城跡(国史跡)は、JR高尾駅または京王高尾山口駅からバスで行ける。1590年の落城時に城主・北条氏照の家臣団と婦女子が殉死した悲劇の舞台として知られ、心霊スポットとしても語られる。