西宮市門戸西町に鎮座する高野山真言宗の別格本山。山号は松泰山。天長6年(829年)、嵯峨天皇の勅願により空海(弘法大師)が創建した。嵯峨天皇が数え42歳の大厄年にあたり、空海が厄難消除を祈願して愛染明王と不動明王が一体となった「厄神明王」を彫刻・安置したとされ、この像は日本に現存する唯一の厄神明王像として名高い。日本三大厄神(門戸厄神・奈良の大神神社・愛知の津島神社)の一社として関西一円から参拝者を集め、毎年1月17〜19日の「厄除大祭」には数十万人が訪れる。境内には男性の厄年(42歳)にちなむ42段の石段「男厄坂」と、女性の厄年(33歳)にちなむ33段の石段「女厄坂」が設けられ、段を踏みながら厄を落とすとされる。摂津国八十八箇所第76番・西国四十九薬師霊場第20番・西国愛染十七霊場第2番にも選ばれる多霊場の名刹。
天長6年(829年)、嵯峨天皇が数え42歳の大厄年を迎えるにあたり、勅願によって空海(弘法大師)がこの地を選び創建した。空海は厄難消除を祈願して秘仏「厄神明王」(愛染明王と不動明王を合体させた珍しい尊格)を一刀三礼で彫刻・安置し、これが現在に至るまで日本に現存する唯一の厄神明王像とされている。嵯峨天皇は厄年を無事に越えた翌年に元号を「天長」と改め、当寺を厚く庇護したと伝わる。平安・鎌倉期には空海ゆかりの真言霊場として摂津国内の信仰の拠点となり、歴代権力者から寄進を受けた。江戸時代には尾張藩主・徳川義直の帰依を受けて大いに栄えたとされる。境内は本堂(厄神堂)・薬師堂・大黒堂・不動堂・奥の院などか…