東京都国分寺市西元町に広がる、武蔵国分寺(僧寺)と対をなす古代尼寺跡。天平13年(741年)聖武天皇「国分寺建立の詔」に基づき、諸国に国分尼寺(法華滅罪之寺、正式名は「金光明最勝王経 法華滅罪之寺」)が建立された際の武蔵国における尼寺の跡地。天平宝字年間(757-765年)頃の建立と推定される。光明皇后の発願で設立された国分尼寺制度は、武蔵国においてはこの地に尼僧10人が常住して「武蔵国金光明最勝王経法華滅罪之寺」として機能した。寺域は僧寺の西約300mに位置し、東西約150m・南北約300m。発掘調査で金堂・講堂・尼坊・食堂等の礎石が検出されている。元弘3年(1333年)分倍河原の戦いで僧寺とともに焼失した後は再建されず、遺構のみが地中に眠った。昭和41年(1966年)国指定史跡に追加指定。武蔵国分寺跡と一体で令和4年(2022年)国史跡指定100周年を迎えた、光明皇后・聖武天皇期の国家…