長良川の鵜飼は飛鳥時代にはすでに行われていたとされ、天智天皇の時代(在位661〜672年)の記録が伝わる。奈良・平安時代には朝廷への鮎の献上制度と結びつき「御料鵜飼」として格式が高まった。室町時代には足利将軍家、江戸時代には尾張藩主・徳川家の管理下に置かれ、鵜匠職は世襲制として整備された。俳聖・松尾芭蕉は元禄2年(1689年)の「奥の細道」の旅で長良川鵜飼を訪れ、「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」の名句を詠んだ。現在は宮内庁式部職鵜匠として6名の鵜匠が朝廷行事として継承し、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている。