spot/[id]

ホーム
>
都道府県から探す
>
佐賀県
>
唐津市
>
JR唐津駅
>
名護屋城
[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
名護屋城
創建
1591
種別
アクセス
JR唐津駅からバス約40分
佐賀県唐津市鎮西町名護屋
Google Map で開く ↗
基本情報
創建 1591
435年目
概要
豊臣秀吉が文禄元年(1592年)の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の前線基地として、わずか5ヶ月という短期間で築き上げた大城郭。最盛期には約13万坪の城域を誇り大坂城に次ぐ規模を持ち、加藤清正・福島正則・黒田長政ら全国200以上の大名が周辺に陣を構えた。秀吉自身もこの城に滞在して二度の出兵を指揮したが、慶長3年(1598年)の秀吉没後は廃城となった。現在は国の特別史跡に指定され、隣接する佐賀県立名護屋城博物館では朝鮮・東アジアとの交流史を詳しく学べる。
由緒
名護屋城は、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点とするため、天正19年(1591年)に肥前国松浦郡名護屋(現・佐賀県唐津市)に築城を命じた城郭である。加藤清正・黒田長政ら諸将の助力のもと、わずか5ヶ月という短期間で完成したとされる。最盛期の城域は約13万坪に及び、大坂城に次ぐ規模を誇った。文禄元年(1592年)の第一次出兵(文禄の役)に際し、秀吉自身がこの城に入り出兵を指揮。全国から200以上の大名が周辺に陣屋を構え、城下は一時的に京・大坂に次ぐ大都市の様相を呈したとされる。慶長2年(1597年)の第二次出兵(慶長の役)もここを拠点として行われたが、慶長3年(1598年)に秀吉が没すると…
もっと読む

関連する歴史的事件
2

1592
文禄の役(名護屋城)
1592年(文禄元年)、豊臣秀吉が明国征服を目指して朝鮮に出兵した文禄の役(壬辰倭乱)の出撃拠点となった名護屋城(現在の佐賀県唐津市)。秀吉は肥前名護屋に全国の大名を集め、20万以上の兵力を朝鮮半島に送り込んだ。緒戦は破竹の勢いで漢城(ソウル)・平壌まで攻め上ったが、李舜臣率いる朝鮮水軍・義兵の抵抗と明軍の援軍により戦況は膠着した。1593年に休戦交渉となり、1597年には慶長の役として再出兵されたが秀吉の死により撤退した。名護屋城跡は国の特別史跡に指定されている。
もっと詳しく →
1597
慶長の役
1597年(慶長2年)から1598年(慶長3年)にかけての朝鮮への第二次出兵。文禄の役(1592〜93年)の休戦交渉が破綻したため、豊臣秀吉は再び朝鮮に出兵を命じた。約14万の軍勢が再び朝鮮半島に渡ったが、朝鮮民衆の抵抗・李舜臣の水軍・明の援軍に阻まれて苦戦した。1598年8月、秀吉が大坂で病死すると、諸将は撤兵を決定。帰国の途中、李舜臣の水軍に追撃されて多くの船が沈められた(露梁海戦)。この役で日本・朝鮮・明の三国は多大な犠牲を払い、秀吉の野望は泡と消えた。
もっと詳しく →
みんなの投稿
0
まだ投稿がありません
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U