呼子の地は、豊臣秀吉が文禄元年(1592年)の朝鮮出兵を前に名護屋城を築いた際、城下の外港として急速に発展した。多くの兵站物資・兵糧が呼子を経由して大陸へ向かい、港町としての基礎がこの時期に固まった。江戸期に入ると、呼子は玄界灘の捕鯨・漁業の基地として再び繁栄し、鮮魚や乾物を扱う朝市が自然発生した。朝市は文政年間(1818〜1830年)頃に形成が本格化したとも伝わり、漁師の妻たちが早朝に新鮮な魚介を売り始めたのが今日の朝市の原点とされる。明治以降も朝市の伝統は途絶えることなく続き、昭和後期に全国から注目を集めるようになった。現在は石川県輪島・岐阜県高山とともに「日本三大朝市」の一つに数えられ、…