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名護屋城跡
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名護屋城跡
佐賀県
創建
1591
種別
史跡
アクセス
唐津駅からバス40分、名護屋城跡前
佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3
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基本情報
史跡
創建 1591
435年目
概要
文禄元年(1591年)、豊臣秀吉が朝鮮・中国大陸への出兵(文禄・慶長の役)の総指揮所として築いた巨大城郭の跡地。最盛期には大坂城に次ぐ規模を誇り、加藤清正・福島正則・黒田長政ら錚々たる武将たちが周辺130余りの陣を構えた。秀吉自身もここに滞在し二度の朝鮮出兵を指揮したが、慶長3年(1598年)の秀吉没後に廃城。国の特別史跡に指定され、佐賀県立名護屋城博物館では文禄・慶長の役と東アジア交流の歴史を詳しく学べる。
由緒
文禄・慶長の役(1592〜1598年)の司令部として秀吉が築城。当時は大坂城に次ぐ規模を誇り全国の大名が陣を構えた。

関連する歴史的事件
2

1592
文禄の役(名護屋城)
1592年(文禄元年)、豊臣秀吉が明国征服を目指して朝鮮に出兵した文禄の役(壬辰倭乱)の出撃拠点となった名護屋城(現在の佐賀県唐津市)。秀吉は肥前名護屋に全国の大名を集め、20万以上の兵力を朝鮮半島に送り込んだ。緒戦は破竹の勢いで漢城(ソウル)・平壌まで攻め上ったが、李舜臣率いる朝鮮水軍・義兵の抵抗と明軍の援軍により戦況は膠着した。1593年に休戦交渉となり、1597年には慶長の役として再出兵されたが秀吉の死により撤退した。名護屋城跡は国の特別史跡に指定されている。
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1597
慶長の役
1597年(慶長2年)から1598年(慶長3年)にかけての朝鮮への第二次出兵。文禄の役(1592〜93年)の休戦交渉が破綻したため、豊臣秀吉は再び朝鮮に出兵を命じた。約14万の軍勢が再び朝鮮半島に渡ったが、朝鮮民衆の抵抗・李舜臣の水軍・明の援軍に阻まれて苦戦した。1598年8月、秀吉が大坂で病死すると、諸将は撤兵を決定。帰国の途中、李舜臣の水軍に追撃されて多くの船が沈められた(露梁海戦)。この役で日本・朝鮮・明の三国は多大な犠牲を払い、秀吉の野望は泡と消えた。
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