東充寺は1611年(慶長16年)、徳川家康による清洲越しの都市計画に伴い、清洲から現在地へと移転・開創された日蓮宗寺院である。清洲越しとは、名古屋城築城と城下町整備にあたり、清洲の寺社・町人・武家を名古屋へ集団移転させた大規模な都市改造であり、東充寺もその一環として大須から栄東部にかけて形成された寺町エリアの一角に配置されたと伝わる。江戸時代を通じて、同エリアは尾張藩における日蓮宗の布教・信仰の拠点の一つとして機能し、地域の宗教的紐帯を担ってきたとされる。近代以降は明治の廃仏毀釈や都市化の波を経ながらも法灯を維持し、現在も名古屋市中区栄5丁目に境内を構え、日蓮宗寺院として信仰を守り続けている。