慶長17年(1612年)、徳川家康による名古屋城築城に伴い、清洲(現・清須市)から寺社・町家ごと名古屋へ移転する「清洲越し」が行われた。圓頓寺もこの大移転の一環として清洲から名古屋の那古野に移った。
享保9年(1724年)5月13日、名古屋城下で大火が発生し、圓頓寺は全山を焼失した。再建にあたり現在地の清水八郎左衛門屋敷跡を買い取って移転。この大火を教訓に、尾張藩は堀川沿いの道幅を四間(約7m)に拡幅する防火対策を講じ、これが「四間道(しけみち)」の誕生につながった。
安置する鬼子母神は江戸時代に尾張徳川家から拝受したもので、子育て・安産の守り神として庶民の信仰を集めた。門前には商家が軒を…