男体山は古来より霊峰として崇められ、二荒山神社の御神体山とされてきた。天応2年(782年)、下野薬師寺の僧・勝道上人が長年の悲願であった男体山への初登頂を果たし、山頂に祠を設けたと伝わる。これが奥宮の起源とされ、日光山岳信仰の出発点となった。平安・鎌倉時代には日光修験道の聖地として多くの修験者が登拝し、信仰が深まった。中世には二荒山神社が日光三社の中心として栄え、奥宮もその信仰体系の核として位置づけられた。江戸時代には徳川幕府による日光への崇敬が高まり、東照宮造営とともに日光一帯の社寺が整備された。明治の神仏分離令(1868年)によって日光山は神社と寺院に分離され、二荒山神社として独立。奥宮も…