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東京メトロ日比谷線神谷町駅から徒歩3分
東京都港区虎ノ門5-10-14
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勝負運・スポーツ必勝・試験突破の勝運。八幡宮や諏訪大社など武門の守護神に由来。
御祭神「品陀和気命(応神天皇)・息長帯比売命(神功皇后)・帯中日子命(仲哀天皇)」のご神徳に由来
寛弘年間(1004-1012年)、河内源氏の祖・源頼信が霞ヶ関の辺りに創建したと伝わる古社。その後、太田道灌が江戸城築城に際して現在の虎ノ門の地に遷座した。祭神は品陀和気命(応神天皇)・息長帯比売命(神功皇后)・帯中日子命(仲哀天皇)の三柱。元は天台宗寛永寺末の「八幡山普門院」として神仏習合の形態をとっていたが、明治の神仏分離で寺院は廃され純然たる神社となった。関ヶ原の戦いに際し、徳川秀忠の正室・崇源院(お江)が戦勝を祈願し、後に社殿を造営したとの伝承もある。昭和20年の東京大空襲で焼失したが昭和28年に総檜造りで復興。虎ノ門ヒルズを背に鎮座する姿は江戸と現代の対比を際立たせる。境内には縄文時代の西久保八幡貝塚が発見されており、東京都指定史跡に指定されている。
寛弘年間(1004〜1012年)、河内源氏の祖・源頼信が現在の霞ヶ関付近に八幡神を勧請して創建したと伝わる。その後、15世紀後半に太田道灌が江戸城を築城するにあたり、現在の虎ノ門の地へ遷座させたとされる。江戸時代には天台宗寛永寺末の「八幡山普門院」として神仏習合の形態をとり、武家・庶民双方の信仰を集めた。関ヶ原の戦い(1600年)の際には、徳川秀忠の正室・崇源院(お江)が当社で戦勝祈願を行い、後に社殿を造営したとの伝承が残る。1868年の明治維新後、神仏分離令により寺院部分は廃され、純然たる神社として再出発した。1945年(昭和20年)の東京大空襲により社殿は焼失したが、1953年(昭和28年…
関ヶ原の戦い(1600年)に際し、徳川秀忠の正室・崇源院(お江、浅井長政の三女)が西久保八幡神社に戦勝を祈願したと伝わる。崇源院は家康にとって大切な嫡孫・家光の母であり、その祈願は徳川家の命運をかけた切実なものであった。勝利の後、崇源院は報恩として社殿を造営。以後、西久保八幡は徳川家の崇敬を受け続けた。
太田道灌は長禄元年(1457年)に江戸城を築城した際、周辺の寺社も整備して城下町の基盤を築いた。西久保八幡神社もこの時に霞ヶ関付近から現在の虎ノ門の地に遷座されたと伝えられる。道灌は武将としてのみならず文化人としても知られ、城下の守護神として八幡信仰を重視した。
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