spot/[id]

ホーム
>
都道府県から探す
>
東京都
>
港区
>
都営三田線御成門駅
>
金地院
[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
金地院
東京都
創建
1619
種別
寺院
アクセス
都営三田線御成門駅から徒歩3分 / 東京メトロ日比谷線神谷町駅から徒歩5分
東京都港区芝公園3-5-4
Google Map で開く ↗
基本情報
寺院
創建 1619
407年目
御祭神・御本尊
聖観世音菩薩
開基・創建者
開山: 以心崇伝(本光国師)
宗派
臨済宗南禅寺派
ご利益
健康長寿・病気平癒
縁結び
安産・子授け
厄除け・災難除け
病気平癒・身体健全・心身の癒し。薬師如来や観音菩薩を本尊とする寺院が霊験あらたか。
御祭神「聖観世音菩薩」のご神徳に由来
概要
勝林山と号する臨済宗南禅寺派の寺院。元和5年(1619年)、徳川家康の政治顧問として「黒衣の宰相」と称された以心崇伝(金地院崇伝、本光国師)が江戸城北の丸に創建し、寛永16年(1639年)に現在地へ移転した。崇伝は京都南禅寺金地院の住職を兼務しつつ、幕政に深く関与。武家諸法度・禁中並公家諸法度・寺院法度の起草に携わり、キリシタン禁教令の発布にも中心的役割を果たした。天海大僧正と並んで徳川幕府の宗教政策を支えた二大僧侶の一人。本尊は聖観世音菩薩。寺領は寛永10年に500石、元禄7年に200石が加増された。昭和新撰江戸三十三観音霊場第28番札所。増上寺・芝東照宮に隣接し、徳川家の信仰圏を構成する重要な寺院。
由緒
以心崇伝(1569-1633年)は足利将軍家の一門に生まれ、南禅寺に入って禅を学んだ。慶長14年(1609年)に家康に招かれて以来、外交文書の起草(マカオ事件等)、法令の立案、寺社行政の統括を一手に引き受けた。天海が東叡山寛永寺を拠点としたのに対し、崇伝は南禅寺金地院系を拠点とし、両者は幕府の宗教政策を二分して支えた。崇伝の死後、金地院は幕府との直接的な政治関係は薄れたが、南禅寺派の江戸における拠点寺院としての役割を保ち続けた。
徳川家康とのつながり
幸稲荷神社は増上寺と深い因縁で結ばれている。増上寺は徳川家康の帰依を受け、天正18年(1590年)に芝の地に移転したが、その際に観智国師の夢に岸之稲荷大明神が現れ「社殿を再建すれば寺を守護し氏子の繁栄を守る」と託宣した。家康が増上寺を菩提寺に定めたことで、幸稲荷は徳川家の菩提寺の守護神という格式を得た。増上寺の将軍墓所を守り続けた稲荷社として、家康の信仰体系の一環を成す存在である。

ゆかりの人物
1

みんなの投稿
0
まだ投稿がありません
御朱印
まだ御朱印の投稿がありません
あわせて巡りたい
増上寺
明徳4年(1393年)創建で家康が江戸城裏鬼門の菩提寺と定めた浄土宗大本山、六将軍の霊廟が置かれ元和8年建立の三解脱門が東日本最大級の木造楼門として現存する増上寺
296m
宝珠院
徳川家康の念持仏「開運出世大弁財天」を祀る増上寺塔頭・港七福神の弁財天札所
302m
西
西久保八幡神社
寛弘年間(1004-1012年)に源頼信が創建し太田道灌が江戸城築城に際して虎ノ門へ遷座させた古社、関ヶ原の前に崇源院が戦勝祈願した縄文貝塚を境内に持つ都指定史跡
387m
幸稲荷神社
応永元年(1394年)創建の都内最古クラスの稲荷社、寛永年間に府内古社十三社に列せられ増上寺の観智国師の夢枕に現れて徳川菩提寺を守護すると誓った東京タワー直下の古社
83m
愛宕神社
慶長8年に家康が創建した東京23区内の自然地形最高地点、寛永11年に曲垣平九郎が馬で急勾配「出世の石段」を登った逸話が立身出世を願う参拝者を今も引き寄せる
664m
増上寺熊野神社
徳川将軍家の菩提寺・増上寺境内に鎮座する熊野三山の分霊を勧請した熊野神社、神仏習合期の名残として増上寺の鎮守を担い続ける境内社
413m
立行寺(大久保寺)
寛永7年(1630年)に「天下のご意見番」大久保彦左衛門が自ら創建した菩提寺、『三河物語』を著した歴戦の旗本の墓が境内に現存し落語・講談の庶民的英雄が眠る白金の古刹
2.2km
泉岳寺
慶長17年(1612年)徳川家康創建・元禄15年(1703年)大石内蔵助ら四十七士が吉良邸討ち入り後に主君の墓前に首級を供えた忠臣蔵の聖地
2.6km
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U