応永元年(1394年)、武蔵国豊島郡岸之村(現在の芝公園一帯)の鎮守として勧請された、東京でも最も古い神社のひとつ。当初は「岸之稲荷」と称したが、氏子・信者に幸事が続出したことから「幸稲荷」と尊称されるようになった。祭神は倉稲魂命・伊弉冉神・誉田別命(応神天皇)・息長足姫命(神功皇后)・足仲彦命(仲哀天皇)の五柱。寛永年間に府内古社十三社に数えられた格式を持つ。境内には増上寺十三世・観智国師の「御祠石」が伝わり、石に水をかけて祈れば熱病が癒え、子供の夜泣きが止むという霊験がある。増上寺が芝の地に移転する際、国師の夢枕に稲荷大明神が現れて守護を約束したとの伝説も残る。東京タワーの足元に静かに鎮座する。
応永元年(1394)4月、武蔵国豊島郡岸之村(現在の芝大門付近、芝公園10号地周辺)の鎮守として勧請されたとされ、当初は「岸之稲荷」と称しました。鎌倉街道に面したこの地は郭公(ホトトギス)の名所として知られ、古くから往来の人々に親しまれていたと伝わります。その後、氏子・崇敬者に幸多い出来事が続いたことから「幸稲荷神社」へと改称されました。文化8年(1811)に社地を現在地(芝公園3丁目)へ移し、移遷後は境内の一部を貸地として軍書講談・寄席・水茶屋などを許可したため、周辺は賑わいを極めたと記されています。明治7年(1874)に村社に列格されました。芝公園の一角に鎮座し、増上寺の門前として栄えた芝…