spot/[id]

ホーム
>
都道府県から探す
>
群馬県
>
太田市
>
東武伊勢崎線太田駅
>
新田神社
[ まだ写真がありません ]
最初の一枚を投稿しませんか
新田神社
群馬県
創建
1875
種別
神社
アクセス
東武伊勢崎線太田駅から徒歩40分
群馬県太田市金山町40-44
Google Map で開く ↗
基本情報
神社
創建 1875
151年目
御祭神・御本尊
新田義貞
概要
日本100名城・金山城跡に鎮座し、鎌倉幕府を滅ぼした武将・新田義貞を祀る神社。義貞は元弘3年(1333年)に鎌倉を攻略して北条氏を滅亡させ、稲村ヶ崎で黄金の太刀を海に投じて潮を引かせた伝説でも名高い。城跡の石垣が良好に保存されており、山頂からは関東平野を一望できる絶景が広がる。金山城は全国でも珍しい精緻な石垣を持つ中世山城として注目されている。標高239mの金山山頂に位置するため、社殿への道のりは緑豊かな登山道を兼ねており、爽快なハイキングと歴史参拝を同時に楽しめる。明治2年(1869年)の創建ながら義貞への尊崇の念は深く、毎年5月に行われる祭礼には地元の人々が集い新田義貞公の功績を偲ぶ。
由緒
新田神社が鎮座する金山(標高239m)は、15世紀初頭に新田氏の支流・岩松氏によって金山城が築かれたとされる中世山城の地である。城は戦国期を通じて上杉氏・北条氏らの争奪の舞台となり、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原攻めののち廃城となったと伝わる。近世には城跡として荒廃したまま時を経たが、明治維新後の神仏分離・廃仏毀釈の気運と、明治政府による勤王の志士・忠臣の顕彰運動を背景に、明治2年(1869年)に地元有志らによって鎌倉幕府を倒した武将・新田義貞を祀る社が創建されたとされる。明治8年(1875年)に社号が正式に整えられ、県社に列格された。廃城後も良好に保存されてきた石垣群は近年の…
もっと読む

関連する歴史的事件
1

1333
鎌倉の戦い(新田義貞の鎌倉攻め)
1333年5月、新田義貞率いる倒幕軍が鎌倉を攻略し、鎌倉幕府を滅亡させた合戦。義貞軍は七口(鎌倉の七つの入口)から同時に攻め込んだが、天然の要害である鎌倉はなかなか陥落しなかった。しかし義貞が稲村ヶ崎の浜辺で太刀を海に投じると、潮が引いて干潟が現れ、軍勢が浜から市中へなだれ込んだという伝説が残る。追い詰められた北条高時ら北条一族・御家人たちは東勝寺に籠り自害、幕府は滅亡した。百三十年余りにわたった鎌倉幕府の終焉を告げる歴史的決戦であり、鎌倉の地に深い傷跡を残した。
もっと詳しく →
豊臣秀吉とのつながり
天正18年(1590年)、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼした小田原征伐により、金山城は廃城となった。戦国期に上杉氏・北条氏が争奪した堅城も、天下統一の波に飲み込まれ歴史に幕を閉じた。現在この地には新田義貞を祀る新田神社が鎮座し、戦国の終焉を刻む石垣が往時を伝える。

ゆかりの人物
1

みんなの投稿
0
まだ投稿がありません
御朱印
まだ御朱印の投稿がありません
📱
アプリでもっと便利に
GPS自動スタンプ・オフライン閲覧・推し活機能
App Store からダウンロード
📱
アプリで巡礼を楽しむ
App Store からダウンロード
T · O · K · U