下京区七条御所ノ内中町に鎮座する古社。仁安元年(1166年)、平清盛が西八条御所(にしはちじょうごしょ)の地を整備していた際、地中から若一王子(にゃくいちおうじ・熊野権現の一柱)の御神体が出土した。清盛はこれを御所内に奉斎したところ、まもなく太政大臣(最高位の政府官職)に任じられた。清盛はこのご利益を深く信じ、御社の整備を進めたと伝わる。境内には清盛手植えと伝わる大クスノキが聳え、京都市の天然記念物に指定されている。西八条御所はかつて清盛の一族が居した壮大な邸宅群で、現在の若一神社周辺はその遺址となっている。太平洋戦争前には梅林で知られた境内も、現在は清盛ゆかりの史跡として多くの参拝者が訪れる。
若一神社の創祀は仁安元年(1166年)に遡る。平清盛(1118〜1181年)は摂津国の福原(現・神戸市)にも別荘を持ち、京都では西八条(現・下京区七条御所ノ内付近)に広大な邸宅群「西八条御所(西八条第)」を構えていた。同年、邸内の整備中に若一王子の御神体が発見され、清盛はこれを邸内に奉祀した。その直後の同年、清盛は太政大臣に補任された。清盛はこの出来事を神助と捉え、御社を大切に奉斎したとされる。平氏滅亡(1185年)後、西八条御所は荒廃したが、若一神社はその地に留まり、清盛手植えと伝わる大楠(現在も境内に現存)とともに地域住民の信仰を集め続けた。近世以降も地域の氏神として崇敬を受け、現在は京都…