合元寺は1587年(天正15年)、豊後国中津に創建された浄土宗の寺院である。翌1588年(天正16年)、中津城主・黒田孝高(官兵衛)は、豊前の国人領主・宇都宮鎮房を城内に招いて謀殺した。この際、鎮房の家臣たちは合元寺に立て籠もり、黒田方の軍勢と激しく斬り合ったと伝わる。この戦闘で多くの血が寺の白壁に飛び散り、以来何度塗り替えても血の痕が浮き出てくるとされ、寺はいつしか「赤壁寺」の異名で呼ばれるようになった。江戸時代以降も浄土宗の寺院として中津の寺町に法灯を継ぎ、現在に至る。戦国末期の豊前平定をめぐる苛烈な権力闘争の痕跡を境内に留める寺として、地域の歴史を今日に伝えている。