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島根県
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隠岐神社
島根県
承久の乱で配流された後鳥羽上皇が19年を過ごした隠岐の地に立つ神社
創建
1939 年
種別
神社
アクセス
菱浦港から車10分
島根県隠岐郡海士町海士1784
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基本情報
神社
創建 1939年
87年目
御祭神・御本尊
後鳥羽天皇
概要
隠岐諸島・海士町にある後鳥羽天皇(1180-1239)を祀る神社。承久の乱(1221年)で幕府に敗れて隠岐に配流された後鳥羽上皇は当地で約19年を過ごして崩御し、その崩御700年を記念して昭和14年(1939年)に島根県が創建した。本殿は隠岐諸島固有の建築様式「隠岐造」で、隣接して上皇の御火葬塚が営まれる。約15,000坪の社域には桜並木の参道が続き、鎌倉時代の皇室と幕府の緊張を今に伝える。
由緒
承久3年(1221年)、後鳥羽上皇は執権・北条義時追討の院宣を発して挙兵したが(承久の乱)、幕府軍に敗れて同年7月に隠岐国(現・海士町)へ配流された。源福寺を行在所として約19年を島で過ごし、延応元年(1239年)2月に60歳で崩御。遺体は当地で火葬され御火葬塚が営まれた。江戸末期には島民による小社が祀られたが明治7年(1874年)に撤去され、崩御700年にあたる昭和14年(1939年)、島根県が旧県社として隠岐神社を創建した。本殿は切妻造妻入に向拝を接続する「隠岐造」を採用し、銅板葺で建立されている。
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創建時 759歳(没後)
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承久の乱(1221年)で鎌倉幕府の執権・北条義時打倒のために兵を挙げた後鳥羽上皇は、幕府軍に敗れ隠岐(島根県海士町)に配流された。以後19年間、都に戻ることを許されず、承久20年(1239年)に60歳で崩御した。流謫の地で詠み続けた和歌は「隠岐本」と呼ばれ、晩年まで歌道への情熱を燃やし続けたことが伝わる。隠岐神社はその上皇の霊を祀るため昭和14年(1939年)に創建された神社で、境内には御火葬塚・歌碑が並び、鎌倉武家政権と朝廷の権力闘争に敗れた悲劇の上皇の記憶を今に伝える。
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