大阪市生野区勝山北に現存する5世紀前半(古墳時代中期)築造の前方後円墳で、全長約110メートル、後円部径約55メートル・高さ約8メートル、前方部幅約68メートルの大型古墳。墳丘の周囲には周濠の痕跡が残り、河内湾沿岸を治めた有力豪族の墓と推定され、一説には仁徳天皇陵(百舌鳥古墳群)の陪塚の一つとも伝わる。古来「岡山」と呼ばれていたが、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の際、徳川秀忠(二代将軍)が大坂城攻略の本陣をこの古墳に置き、勝利したことから「御勝山(おかつやま)」と改称された。大坂の陣の徳川方の拠点として日本史上も重要な地点で、墳丘内部は現在立ち入り禁止だが、周辺は勝山公園として整備され、市民の憩いの場となっている。古代から近世まで連なる歴史の重層を今に伝える貴重な史跡。