大阪市天王寺区真田山町の真田山公園一帯に比定される慶長19年(1614年)大坂冬の陣の「真田丸」出丸跡。真田丸は信州上田の戦国武将・真田信繁(幸村、1567〜1615)が大坂城の南側・惣構の外に築いた半月形の出丸で、東西約130m・南北約100mの規模を持つ独立した要塞であった。冬の陣の緒戦「真田丸の戦い」では、寄せ手の前田利常・松平忠直・井伊直孝ら徳川方3万余の大軍を出丸の堀・柵・鉄砲隊で迎え撃ち、数千の死傷者を出して徳川方を撃退した真田信繁の名を天下に轟かせた戦功の地。冬の陣後の和睦条件で真田丸は破却されたが、翌慶長20年(1615年)の夏の陣で信繁は茶臼山に本陣を置き徳川家康本陣へ突撃、徳川家康を追い詰める奮戦の末に安居神社付近で討死。隣接する三光神社境内に「真田の抜穴跡」と信繁銅像が残り、真田ファンの聖地として全国から訪問者が絶えない。