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太田道灌の墓
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太田道灌の墓
神奈川県
江戸城を築いた智将が眠る、英勝寺背後の山腹墓所
創建
1636
種別
史跡
アクセス
JR鎌倉駅西口から徒歩約10分の英勝寺付近。英勝寺境内からは入れず、源氏山公園〜寿福寺の山道経由で参拝。
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1(英勝寺背後)
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基本情報
史跡
創建 1636
390年目
概要
英勝寺の背後の山腹に位置する、太田道灌(1432〜1486)の墓所。英勝寺はもともと道灌の鎌倉屋敷跡に建てられた鎌倉唯一の尼寺で、道灌の子孫・お勝の方(英勝院)が徳川家光の許可を得て1636年に創建した。道灌は江戸城・川越城・岩槻城を築いた名将にして歌人であったが、1486年に主君・上杉定正に暗殺された。現在の墓碑は1826年(文政9年)に水戸徳川家の子孫にあたる英勝寺住持により再建された宝篋印塔。英勝寺境内からは直接入れず、源氏山公園〜寿福寺の山道から回り込むルートでのみ参拝できる。
由緒
太田道灌(永享4年・1432〜文明18年・1486)は扇谷上杉家の家宰として享徳の乱を戦い抜いた智将。長禄元年(1457年)に江戸城を築城し、川越城・岩槻城も整備した。武略だけでなく和歌にも通じた文武両道の人物で、「山吹の里」の逸話が知られる。文明18年(1486年)7月26日、相模糟屋の上杉定正館にて暗殺された。刺客に「かかる時さこそ命の惜しからめ」と詠みかけられ、道灌は「かねてなき身と思い知らずば」と返して壮絶な最期を遂げた。「当方滅亡」の遺言通り、道灌亡き後の扇谷上杉氏は衰退し北条早雲に滅ぼされた。鎌倉の墓は道灌屋敷跡の英勝寺背後にあり、現在の宝篋印塔は1826年(文政9年)再建。
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