雑賀城(雑賀荘)は、戦国時代に紀伊国雑賀荘を本拠とした雑賀衆の城砦群の総称とされる。雑賀衆は鉄砲を活用した傭兵集団として知られ、その指導者として雑賀孫市の名が広く伝わる。1570年代には織田信長の勢力と幾度も対立し、本願寺との連携のもと顕如支援のため各地で活動した。1577年(天正5年)、信長は紀伊に侵攻するも雑賀衆の抵抗により講和に至ったと伝わる。その後、豊臣秀吉が天下統一を進める中、1585年(天正13年)の紀州征伐において、雑賀衆の拠点のひとつであった太田城は大規模な水攻めを受けた。秀吉軍は周囲に堤防を築いて水を引き込む戦術をとり、太田城はほどなく開城・落城した。この水攻めは備中高松城・…