元亀2年(1571年)、織田信長の命を受けた明智光秀が、比叡山の麓・琵琶湖畔の坂本に築城した。湖水を防御に利用した水城であり、大津と京都を結ぶ交通の要衝に位置した。光秀はこの城を居城として近江支配の拠点とし、城下町の整備も進めたとされる。天正10年(1582年)6月、本能寺の変で織田信長を討った光秀は、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ落命した。その直後、秀吉方の軍勢が坂本城へ迫ると、城を守っていた明智秀満ら重臣および光秀の妻子は自害し、城は炎上・落城した。廃城後、城地の一部は膳所藩に引き継がれたともされるが、城郭としての機能は失われた。その後、城跡は住宅地として開発され、長らく石碑が残るのみであった…