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坂本城跡
滋賀県
元亀2年(1571年)、織田信長の命により明智光秀が比叡山の麓・坂本に築いた水城
創建
1571 年
種別
城
アクセス
京阪松ノ馬場駅から徒歩15分
滋賀県大津市下阪本3丁目
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基本情報
城
創建 1571年
455年目
概要
元亀2年(1571年)、織田信長の命により明智光秀が比叡山の麓・坂本に築いた水城。琵琶湖に面した要衝に建てられ、大津と京都を結ぶ交通の要として機能した。天正10年(1582年)の本能寺の変後、光秀の死を受けて羽柴秀吉軍に攻められ、光秀の妻子と重臣・明智秀満らが自害して城は炎上した。現在は住宅地となり石碑のみが残るが、発掘調査により石垣や礎石が確認されている。琵琶湖を望む光秀ゆかりの史跡として、大河ドラマ「麒麟がくる」の放送以来多くの訪問客を集めている。
由緒
元亀2年(1571年)、織田信長の命を受けた明智光秀が、比叡山の麓・琵琶湖畔の坂本に築城した。湖水を防御に利用した水城であり、大津と京都を結ぶ交通の要衝に位置した。光秀はこの城を居城として近江支配の拠点とし、城下町の整備も進めたとされる。天正10年(1582年)6月、本能寺の変で織田信長を討った光秀は、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ落命した。その直後、秀吉方の軍勢が坂本城へ迫ると、城を守っていた明智秀満ら重臣および光秀の妻子は自害し、城は炎上・落城した。廃城後、城地の一部は膳所藩に引き継がれたともされるが、城郭としての機能は失われた。その後、城跡は住宅地として開発され、長らく石碑が残るのみであった…
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