島根県松江市に聳える**国宝**かつ**現存十二天守**のひとつ。慶長12年(1607年)に**堀尾吉晴**が築城を開始し、慶長16年(1611年)に完成した**複合式望楼型**の五重六階天守。黒塗り下見板張りの外観から**「千鳥城」**と称される。現存天守では**延べ面積が姫路城に次ぐ第2位**、高さは第3位の大規模な天守で、天守地階には**現存天守唯一の地下井戸**が残る。関ヶ原(1600年)後に出雲・隠岐24万石を拝領した堀尾氏が城と城下町を整備し、以後**京極氏→松平氏(親藩)**と続く松江藩の中心として幕末まで機能した。7代藩主・**松平治郷(不昧公)**は江戸時代随一の大名茶人として名高く、不昧流を興して松江の和菓子・茶の湯文化を確立した。明治8年(1875年)の廃城令で天守が**180円**で売りに出される危機に際し、地元豪農・**勝部本右衛門**父子と旧藩士・**高城権八*…
松江城の歴史は出雲・隠岐の支配権と深く結びついている。関ヶ原の戦い(1600年)で東軍(徳川方)についた**堀尾吉晴**は24万石の出雲・隠岐を拝領。旧月山富田城(安来市)から交通の便が良い亀田山(末次城跡)への移転を決め、慶長12年(1607年)に築城を開始した。吉晴は豊臣政権の三中老の一人として「城普請の名人」と評された人物で、足かけ5年の工事を指揮し慶長16年(1611年)正月に完成させた。完成の年に吉晴は死去。その後孫の**忠晴**が藩主として統治したが後嗣なく1633年に改易。翌1634年に**京極忠高**が入封し斐伊川の大改修(若狭土手)を行ったが、1637年に死去し廃絶。
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